経験から学んだよりよい生き方

誰も私を傷つけることはできない!

皆さんは、こんなポスターを見たことがありませんか?

『スマホに子守をさせないで!』

これを見て、あなたはどう感じますか?
小児科でよく見る気がします。

・うんうん、その通り!

・言うのは簡単だけどさ!!

・ふ~ん。

いろいろあると思います。

今日はこれを例に、「誰も私を傷つけることはできない!」ということについて書いてみたいと思います。

はじめて見たとき

このポスターをはじめて見たとき、私は「そうだよね!」と大いに納得しました。

教育を長く学んできた私です。これが正しいことはよく分かります。

だから家に居て、子どもが2人いるときも

  • なるべくテレビは消す。
  • スマホなんてもってのほか!
  • 見るとしても〇時までと時間を決める。

そんな感じでした。

見たもの、聞いたものに、そのまま左右されるというのが当時の私でした。

しばらくして

しばらくすると、「そんなこと言ったって難しいよ!できない!」と批判的に見るようになりました。

  • ワンオペ育児で誰に頼ればいいの!
  • テレビ見せないと家事ができない!
  • そんなこと言われたら、テレビを見せる時に罪悪感感じるじゃん!

同じポスターのはずなのに、前とは違う感情を抱くようになりました。

しかし、感じ方は違ってもポスターに反応している」という点は同じです。

現在

現在はというと、ただのポスター。おわり。

  • 書かれているのはもちろん正しいこと!四六時中スマホやテレビを見せておくのはよくないよね!
  • でも、スマホやテレビに頼らざるを得ないときだってある。家事もはかどるし、私だってゆっくりコーヒー飲みたい^^!

目の前にあるのはただのポスターであり、それ以外の何物でもない。

それはそれとして、自分の考えはきちんとある。

目の前のものはただの事実として、別に自分の価値観はちゃんと持っているといった感じです。

刺激と反応の間には選択の自由がある

少し前に、ブログで‟人は反応を選ぶことができる”ということを書きました。

詳しくはこちら

私たちは『悩みを生む考え方』を‟どこから”学んだのか?前回、悩みは自分が人に期待したり理想を強く持つことによって生まれるということを書きました。 前回の記事はこちら。 https...

それには続きがあって、こんな文章が続きます。

・・・彼は他の収容者たちに希望を与えた。看守の中にさえ、彼に感化された者もいた。彼がいたから、人々は苦難の中で生きる意味を見出し、収容所という過酷な環境にあっても尊厳を保つことができたのである。
想像を絶する過酷な状況の中で、フランクルは人間だけが授かった自覚という能力を働かせ、人間の本質を支える基本的な原則を発見した。それは、刺激と反応の間には選択の自由がある、という原則である。

周りの声、世間の目、置かれている状況…

全ての刺激に、人間は自分がどう反応するか、選択の自由があるのです。

誰も、私を傷つけることはできない!

同じ内容の一節です。

エレノア・ルーズベルト(訳注:フランクリン・ルーズベルト大統領の夫人)は「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」という言葉を残している。ガンジーは「自分から投げ捨てさえしなければ、誰も私たちの自尊心を奪うことはできない」と言っている。私たちは、自分の身に起こったことで傷ついていると思っている。しかし実際には、その出来事を受け入れ、容認する選択をしたことによって傷ついているのだ。

私は初めてこれを読んだとき、も・の・す・ご・く、衝撃を受けました。

なぜなら、これまでの自分に全くなかった視点だったから。

今考えると、私は‟反応は選べる!”という人間誰しも持っているはずの‟選択の自由”を無視し、自分に何か起こるのは周りのせいだと考える、反応的な人間でした。

この本では主体的⇐⇒反応的

「理解すること」と「心から納得すること」は違う。

しかしいくら衝撃を受けて反応が選べると知っても、すぐにそれを心から納得できたかと言えばそうではありません。

筆者も、次のように述べています。

これがそう簡単に納得できる考え方ではないことは百も承知している。特に私たちがこれまで何年にもわたって、自分の不幸を状況や他者の行動のせいにしてきたのであればなおのことだ。しかし、深く正直に「今日の自分があるのは、過去の選択の結果だ」と言えなければ、「私は他の道を選択する」ということはできないのだ。

読んで意味は理解できるけれど、自分がそれをすぐにできるかというと話は別です。

でも、‟刺激と反応の間には選択の自由がある”ということを知らないと知っているでは大きく違います。

そのことを知ってからおよそ2年、ようやく最近心から納得できるようになった、と感じています。

それまでは・・・

葛藤
葛藤
葛藤…

↑でも、学生時代、6年生のクラスにボランティアに行ったとき、担任の先生(のちに心理学の大学教授になる)が、「子どもには葛藤を味あわせることが大事!(変わろうとするチャンス)」と言っていたのが印象的で、否定的には捉えませんでした^^

こんな状況を見ても、これはこれで「レゴが散乱している」という事実!(笑)
昔の私ならこんな状況をみて100%「こらー!」と言っていたでしょう。
今は100%ではなくなりました(笑)

おわりに

周りは周りであって、他人がいろいろ言うことは自分にはどうすることもできません。

けれど、それによって傷つくか傷つかないかは自分で選ぶことができます!

傷つくことを自分で許さない限り、誰も私を傷つけることはできません!

自分を大切にできるのも自分、
自分を傷つけられるのも自分。

全ては自分次第です。

この記事に書かれている引用は全てこの本からです。

↑私にとって『正しく生きるための教科書』のようなものです。

・・・でもきっと、そんな風に思えない時だってある。

ずっとそう思っていられる自信は全くありません。

でも、そんな弱い自分も含めて‟私なんだ”と、今は思っています。

お読みいただきありがとうございました。

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ABOUT ME
ミモザ
1984年生まれ。3人の子ども(女・男・男)の母。転勤族の夫との5人暮らし。 22歳で小学校教師となり、担任として忙しくも充実した日々を送る。 約5年間働いた後、3人の育児休暇に入る。そこで思い通りにいかない子育ての壁にぶち当たる。生きてきた中で最も「自分の未熟さ」を知ることになる。 何年も満たされない日々だったが、家の片付けと読書を機に、『自分の人生は自分で変えられる!』と気づく。そこから毎日が変わっていった。 2018年3月に退職。

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