『私は教師だった』
その事実は常に変わらないはずなのに、
- 育児休暇に入ってすぐ
- 子育ての壁にぶち当たった時
- そして今
それぞれに私の気持ちが違います。
今日は、その過程について書いてみたいと思います。
昨日撮った社宅のたんぽぽ。
春の花かと思いきや、夏も、今も咲いています。
ずっとここで私たちを見ているんですね。
1.育児休暇に入ってすぐ
7年前、育児休暇に入ってすぐは
・教師だから子育ても上手くやれる。
・私は専業主婦とは違うんだ。
おごれた気持ちがありました。
今考えると、『私は教師だった』という事実を、自分をよく見せるための道具として使っていたように思います。
2.子育ての壁にぶち当たった時
子育ては思い通りにならないことの連続。
子どもが二人、三人となるともういっぱいいっぱいで、そんな状況にうまく心の整理ができない自分を未熟に感じるようになりました。
すると今度は『私は教師だった』ということが恥ずかしくなってきました。
・教師なのにきちんと子育てやれてない
・先生だったんでしょう?
そんなこと思われるんじゃないかと恐れていました。
そして仕事をしていない専業主婦の人たちがとても輝いて見えてきて。
3.そして今
それが最近また、自然と自分の過去の職業を言えるようになってきました。
でも、7年前のあのおごれた気持ちとは全然違うのです。
・子育てではきつい思いもたくさん知った。
・まざまざと自分の弱さを知った。
確かにこの気持ちは変わりませんが、
・私は誇りをもって教師という仕事をやってきた。
・自分が頑張った分は、ちゃんと今も残っている。教え子や保護者、職場の人たちとの繋がりという形で。
そんないろんな思い全て含めて、『私は教師だった』。
それ以上でもそれ以下でもありません。
ただありのままの事実として受け入れられるようになりました。自分の職業を、「自分をよく見せるための道具」として使う必要もありません。
専業主婦だからすごい、
仕事をしているからすごい、
ではなく、
‟みんなそれぞれ自分で選んだ道を歩んでいる”と感じます。
おわりに
『私は教師だった』という変わらない事実。
でも、その捉え方は自分でも驚くくらい昔と今では違います。
今はありのままを受け入れ、日々穏やかな気持ちで過ごしています。
自分に自信がある、とも少し違います。
‟私はこれでいいんだ”というような満たされた気持ち。
なぜそんな風になれたのか考えてみると、
・退職というけじめを、自分でしっかり考えてつけることができたから。
そしてもう一つは
・このブログで弱い自分も含め、ありのままをさらけ出せているから。
‟伝えたい!”と思って始めたブログですが、助けてもらっているのは私の方だと気づきました。
お読みいただきありがとうございました。