前回、このような記事を書きました。
こんなふうに考えるようになって、以前と変わってきたことがあります。
それは、以前より他人の考えを尊重できるようになってきたこと。
例え自分と違う考えであっても、「そんな考えもあるんだ」と穏やかな気持ちで受け入れられるようになってきました。(もちろん、人として許せないことは受け入れることはできません)
自分に考えがあるように、相手も相手の考えがある
前回の記事にも少し書いたように、「~しなきゃ」といった受け身の姿勢で我慢していると、知らず知らずのうちにそれを他人にも強要してしまいます。
- 私はこんなに大変なことをしている。だからあなたもやって。
- 本当は~したくないけど仕方なくやってる。だからあなたも~するべき。
やっぱりこれは苦しい・・・。
はい、以前の私はこんな感じでした…。自己犠牲はよくありません。
しかし、私は~したい!~する!と自分の意志で生きていると、自分に考えがあるように、相手にも考えがあると思えます。
以前より他人が気にならなくなったのは、自分は自分の考えで物事を決めることができ、それに沿って行動しているという思いがあるからなのだと、最近気づきました。
最近読んだ本で、改めて実感
少し前に読んだ本。
以前、図書館で手に取ったことがきっかけで知った後藤由紀子さん。
何事も自分が心地よいやり方をされていて、この人の考え方や生き方、とても好きです。
無理せずゆるゆるな感じが、読んでいてとても心地いい。
自分の考えで生きているからこそ、自分と違ったやり方にも寛容でいられるんだろうなあということを随所に感じました。
『7つの習慣』における、人間の成長過程の最終的な目標は「相互依存」
私が、生きている間に出会えてよかった!と思う一冊『7つの習慣』。
そこでは、人間の成長過程を次のように導いています。
これまで、このブログで書いてきた“受け身な自分から主体的な自分へ”という「自立」は、最終的な目標ではありません。
さらにその先に、“自立した者同士がWin-Winの関係で力を合わせ、よりよいものを創り出していく”という「相互依存」があります。
一人の人間として自立した先には、お互いの違いを尊重し認め合う世界が待っているのです。
おわりに
お互いの違いを尊重し合う世界。
それは誰もが生きやすい世界であるし、子どもたちにもそんな世の中を伝えたい。
「~しなきゃいけない」を手放すことで、それに近づくことができるかもしれません。
また、他人の考えを尊重できない。そんなときもあると思うのです。
そんなときは逆に、「自分は~しなきゃいけないになっていないかな」と考えてみることで、今の自分に気づくことができるかもしれません。
ふと、最近感じたことについて書きました。
お読みいただきありがとうございました。
なださん、こんにちは!
ブログを読んであれこれ考えてくださってること、本当に嬉しいです^^
おっしゃるように、見守ることは忍耐が必要ですし、自分が未熟だったり心に余裕がないときはできませんよね。口で言う方が手っ取り早い…
相手が、子どもや夫など身近な存在だからこそ、素の自分が露わになるような気がします。
人間なのでついついやってしまった…と反省することもありますが、徐々にその割合を減らしていけたらいいなと思っています^^
ミモザさん、こんにちは。
私はここのおかげで「~ねばならない」から少しずつ抜け出せてるような気がします。
前はつい子どもたちを自分の型にはめようとしてしまい、怒ってばかりいましたが、最近は様子を見ながら、ある程度は自由にやらせています。
手や口を出さず見守ることは、口を酸っぱくして怒り続けるのと同じくらい大変ですね…
自分のメンタルが落ち着いていないとできません。
「まずは親が機嫌よく!」その通りですね~
精進します。