少し前、こんな記事を書きました。
今読み返しても、今の自分の気持ちそのものです。
その記事を書いた翌日、次男をベビーカーに乗せ長男の幼稚園まで歩く途中、爽やかな風を感じるとともに、‟今は生きるのが本当にラクになった”としみじみ感じました。
まさに、さらさら生きている感覚!
一体それはなぜなのか考えると、ある一つのことに行きつきました。
それは今、私が考えるていること・やっていることは全て、他者は介入せず、自分だけで完結しているからです。具体的にどういうことかというと、
・自分がよいうと思うことをやる。
・自分の価値を人に与えることで喜びを見出す。
・自分が間違ったと思ったときは真摯に謝り、もしそれで関係が終わるようならそこまで。
人に期待したり、他人の目を気にしたりする要素はどこにもありません。
豪華な花よりもこんな雑草に心惹かれます。
斎藤一人さんの言葉。『全ての人間関係は〇〇の修行』
斎藤一人さんの著書は何冊も読みましたが、その中でとても印象的だった言葉があります。
全ての人間関係は、相手に期待しない、変えようとしない修行
以前の私は
・夫がもっと融通の利く仕事だったら。
・社会の仕組みがもっと子育てしやすかったら。
・どちらかの親が近くに住んでいれば・・・
自分のことは棚に上げて、周りに求めてばかりでした。
でも、周りを変えようとすることは大変エネルギーがいります。
そして思い通りにいくことなんかほとんどありません。
だったら自分が変わるしかない。
ただそれだけのことだったのです。
『人に期待しないこと』は『人に頼らないこと』とは違う
『人に期待しない』というのは『人に頼らない』ということではありません。
むしろ、人に期待しないからこそ、自分自身でできることには限りがあることが分かり、できないことは「できない」「助けて」と言葉で伝えることが大切だと気づきました。
以前の私は、特に夫に対して「察して」という態度が多かったです。
今思うととてもわがままで、人をコントロールしようとしていました。だから何だか複雑になっていた…
できないなら「これお願い」と頼む。そんな簡単なことだったのです。
それが分からず、どうして?何で?と出るはずもない答えを求めて自分自分を苦しめていました。
先日、子育て講演会で興味深い話を聞きました。
この「察する」という概念は日本人特有のもので、全く同じ意味の言葉は外国にはないそうです。
失敗したなと思ったら
以前よりもかなりラクに生きれるようになった今も、たまに「やってしまった…」ということはあります。
こんな性格です。よかれと思って人に余計なことを言ってしまった…という場合がほとんど。
以前の私は、それに対してあれこれ悩んでいました。でも言ってしまった事実は変えられない。
真摯に謝り、同じ失敗はしないように反省する。
私にできることはそれしかありません。
その後相手がどう思うかなんて、私がどうこうできる問題ではありません。
でも、人の顔色が気になっていたときより、そんな風に思っている今の方が不思議と人間関係は良好です。
おわりに
私が今生きるのがラクになった理由。
それは
- 自分ができることには限界があり、自分は自分がよいと思うことをやるしかないこと
- できない時、助けてほしいときは、素直に人に頼ったらいいということ
そんな簡単なことに気づいたからです。
周りに期待し、周囲の目を気にし、生きるのを複雑にしていたのは自分でした。
全ては自分次第。
今の生き方は、自分の行動に責任を持つと同時に、‟全ては自分で変えられる”という自由があります。
苦しんでいる誰かに届いたら幸いです^^
お読みいただきありがとうございました。
https://sarasaralife.com/archives/8831301.html”