私自身、今は、以前よりだいぶラクに子育てができるようになったな~と思います。
それはどうしてかと考えると、「子どもをありのままに見る」ということが、前よりもできているからかもしれません。
今日は、私の体験談も交えながら、『子育ては「子どもをありのままに見る」とラクになると思う』というタイトルで、自分の考えを書いてみたいと思います。
「わが子への見方が変わった」と気づいた日
昨年の冬休みのこと。
当時小一の長男の冬休みの宿題の一つに"なわとびカード"がありました(できた跳び方と回数に色を塗っていく)。
その中で、あやとびは、まだ長男は成功したことがありません。
長男は何回も何回も練習し、成功。その翌日もまたやってはできる回数を増やしていきました。
長男は、幼いころから穏やかな性格で、基本的に親の言うことも素直に聞く、何かあるとできるまで頑張る、そんな子でした。
それに比べ、2つ年上の長女は、穏やかとは言い難い(笑)親の言うことを素直に聞くことはあまりないし、縄跳びカードもできるのをやるだけで、新しい跳び方にチャレンジする、という感じではありませんでした(笑)
以前の私なら、そんな二人を比べ「なぜ長男は〇〇なのに、長女は△△なのだろう」と、娘のできないところに目が向いていました。
ところが、その時はちがったのです!
「確かに長女は縄跳びはあんまり努力しなかった。だけどそれは長女のほんの一部でしかなくて、他にいい面がたくさんある。それはそれ、これはこれ。」そんなふうに思えたのです!
私はその瞬間、わが子への見方が前と変わっていたことに気付き、とても嬉しく感じました。
見方が変われば行動や言動が変わる
結局のところ、人は周りをどう見ているかによって行動や言動が変わってきます。
誰かのちょっとした発言でその人の見方が垣間見えた、という経験は多くの方があるのではないでしょうか?
私が「長女には長女のよさが。長男には長男のよさが。次男には次男のよさが。」というように、三者三様それぞれを別人格として認めるようになると、自ずと対応の仕方や声かけも一人一人を尊重したものとなっていきます。
今ももちろん「いい加減にしろー!」ということはありますが(笑)、その子の素質そのものに言ってるのではなく、行動に対しての指摘。その子らしさは認めた上での関わりです(と自分では思っています)。
子どもたちが実際どう感じているのかは分かりませんが、怒涛の引越し・転校・転園を経験した今でも、三人ともみんな生き生きと過ごしています。
一年生の時は、長女は連日「学校行きたくない」といって大変で、二年生くらいまで安定しないことが続きました。でもそれも今に繋がっていると思うと本当に感慨深いです。
私自身も子どもたちと関わることが楽しく、随分ラクに子育てできるようになったな~と感じます(前は苦しいことの方が多かった)。
なぜ自分の見方が変わったのか?
なぜ子どもへの見方が(自分の思う良い方向に)変わったのか?
- 子どもたちがだいぶ大きくなり、私自身余裕がでてきたから?
- 自分自身の「〜したい」に沿ってラクに生きているから?
きっと、どちらもなのだと思います。
日中ふっと一人になれる時間があるのは大切だし、
自分自身が「〜しなければならない」ではなく「〜したい」という自分の意思で毎日を歩んでいるという感覚も大事です。
自分が苦しい中にいたら、子どもをありのままに見るのは難しいかもしれません。
"きょうだいは、比べるものではなく、それぞれを認めていくもの。"
頭では分かっていてもなかなかできなかったことが、自分が変わると自然とできるようになりました。
おわりに
子育ては、「子どもをありのままに見る」とラクになると思うということについて、私の考えを書きました。
前はあんなに苦しいという思いが強かったのに…。
人って変われます。
子育てって(もちろん大変なことは多いのだけれど)楽しいって心から思えます。
そして、いい循環の中で過ごすことができます。
私の中で今も鮮明に記憶に残っている、子どもへの見方の変化に気づいた瞬間。
私の話が、誰かのお役に立てば嬉しいです。
今後もしかすると前のように苦しい思いをすることがあるかもしれませんが、その時は自分の経験を思い出し、自分自身を見つめ直したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。