2019年のクリスマスが終わりました。
子供が生まれて8年、毎回クリスマスの時期になると感じることがあります。
それが、「いい子にしてなきゃサンタさんは来てくれないの?」ということです。
年末年始に入って忘れてしまわないうちに、記事にしたいと思います。
いい子にしてなきゃサンタさんは来てくれないの?
「いい子にしてないと、サンタさん来ないよ!」
身近でよく聞く言葉ですし、それはそれで親子の会話って面白いな~と微笑ましく思うこともあります。
ただ、教育に関心のある私としては、「いい子にしていないとサンタさんからのプレゼントをもらえない」というのは何だか違和感を感じます。
以前のイライラガミガミだった時期でさえ、この言葉は言わないようにしていました(たぶん言ってないはず)。
- いい子にすること
- サンタさんからプレゼントをもらうこと
この二つは、全く別ものだと考えています。
「いい子」って、一体何?
そもそも、「いい子」って一体何でしょう?
- 親の言いつけ通りに振舞う子?
- おとなしくて手のかからない子?
- 礼儀やマナーが身に付いている子?
私はそうは思いません。
一人一人のよさは心の中にあるもので、一見して判断することはできません。
教員時代の話
クラスには、大抵「問題児」「手のかかる子」と言われる子がいます(クラス編成時、それらも考慮します)。
ただ、そのような子たちも、深く関わっていくと、必ず優しい一面や可愛らしいところがあるのです。
むしろ、他にはないパワーを感じることもあります。
どの子もみんな、それぞれによさを持っています。
娘の話
小学二年生の娘は、
学校から帰ってくると、教科書だろうが筆箱だろうが関係なくファイルボックスの中にドサッーと放り込みます(゚д゚)!
ランドセルの奥からクシャクシャになったプリントが出てくることもあります(´Д`;)
「時間割終わった!」と言うのに、鉛筆や消しゴム、宿題のプリントが床に落ちていることもしょっちゅうです…(-_-;)
二学期は、宿題プリントを忘れることが続き、「先生に怒られたー」と言っていました。
まあ、一言でいえばズボラです!(断言)
(あるとき本気で心配になって、担任の先生に学校での様子を尋ねてみたところ、特に問題はないとのこと。ただ、担任の先生も自分のことを「ズボラです」と言われ、娘に同じものを感じると言われていました(笑)担任の先生は、40代女性のベテラン先生)
娘はきっと、世間でいうところの「いい子」ではないでしょう。
ただ先日は、先生のちょっとした勘違いでクラスのお友達が怒られているところを見て、
娘が先生に「本当は・・・」と進言したらしく、先生から「心が強いね」と言ってもらったようです(娘の発言を拾ってくださった先生に感謝です)。
やっぱり、大切なことって、目に見えません。
人は"いる"だけで価値がある
お腹からわが子が出てきてくれたとき、
「なんて愛おしいんだ」
「なんて可愛いんだ」
と涙が出てきませんでしたか?
"この世にいる""ここに存在している"ってだけで素晴らしいことなのです。
子供は、もちろん私たち大人も、
いい子にしていないと価値がないわけではなく、存在そのものに価値があります。
おわりに
子ども時代、あと〇日あと〇日と指折り数えクリスマスイブの日を待っていました。
あの何とも言えないドキドキワクワクした気持ちは、大人になった今もしっかりと覚えています。
"サンタクロースからプレゼントをもらえる"という、子ども時代限定のワクワクするイベント。
それは、どうか、「いい子にしてなきゃいけない」という条件付きではなく、
「どんな子でもみんな」という無条件に楽しい思い出として残したいものです。
私の、ちょっとした拘りについて書いてみました☆
お読みいただきありがとうございました。
同じことを考えてモヤモヤしていたので、
すごくしっくりきました。
周りの期待に応えるために気を張っている場合、
周りの期待に応えなくても生きている存在を
妬むようになるのではないかと考えています。
確かに、そんな見方もできますね!
新しい視点をありがとうございます。
やっぱり自分が満たされているって、本当に大切ですね!