- 片付け
- 断捨離
- 無駄を排除する…
捨てることは、今一つのブームになっているようです。
もちろん、私自身も、「必要十分のモノで身軽に生きていきたい」と思っています。
ただ、捨てることばかりにフォーカスすると、大切なことを見失ってしまう気がします。
最近、夫から娘へ渡すホッカイロを見て、改めて考えさせられることがありました。
冬の朝、夫と娘とのやりとり
娘は小学二年生(相変わらず早起きは苦手です)。
昨年から冬になると、夫は毎朝学校へ行く前の娘に、ホッカイロを渡しています。
夫:「今日はどっちがいい~(貼るタイプor貼らないタイプ)?」
娘:「〇〇がいい~(その日の気分で好きな方を言う)」
夫:「はい(娘が選んだ方を、袋を開けて手渡す)」
娘:「ありがと~(嬉しそう)」※たまに「今日はいらない」ということも(笑)
二人は、こんなやりとりを毎朝やっています。
朝はどうしてもバタバタしてしまいますが、見ていてふっと心が緩む瞬間です(夫が早番以外の日は、二人一緒に玄関を出ます)。
※小学校のきまりは、ホッカイロを持ってきてもいいが出さないこと、となっています。
夫が子供だった頃の記憶
先日、夫が娘にホッカイロを渡したあと、ふとこんなことを言っていました。
「父ちゃんがいつもくれてたんだよね~(お父さんが毎朝いつも自分にホッカイロを渡してくれていた)」
夫も前は毎日のように、お父さんからホッカイロをもらっていたそうです。
何気ない日常ですが、夫とお義父さんのやりとりを想像すると心があたたまります。
そんな過去があったからこそ、夫は今、わが子に同じようにホッカイロを渡しているんだと思います。
確かに、夫の実家には冬は必ずホッカイロがあって、私も前にもらいました(笑)
私たちが子どもたちに残したいものとは?
ホッカイロは、なくても生きていけます。
ゴミを減らす、という点から言えば、ないほうがいいのかもしれません。
私の実家はホッカイロを使う習慣がなかったため、夫に「買わなくてもいいのに…」と思ったこともあります。
ただ、私たちが子どもたちに残したいものって、「心に残るあたたかい思い出」ではありませんか?
自分が親になったとき、ふと蘇ってくる"過去の記憶"。そんなものがありませんか?
あたたかい記憶は、生きる活力にもなります。
- 不要なモノは買わない!
- なるべくモノは少なく!
もちろんそれも理解できますが、それだけでは説明できない部分があります(言葉では上手く言えませんが…)。
夫が娘へ渡すホッカイロは、まさにそうだと思います。
おわりに
夫が、毎朝娘に渡しているホッカイロ。
それは、"モノ"ではなく、"愛情"そのものです。
夫から娘への気持ちは、きっと何かしらの形で次に繋がっていくのではないでしょうか。
- とにかくモノを捨てる
- とにかくモノを買わない
そればかりに目が向いていると、大切なことを見失ってしまいます。
捨てることは、目的ではなく手段。
捨てた先には、「自分はどうしたいか」という、よりよい世界が待っています。
四月からは、長男も小学生。
ホッカイロの消費量が、さらに増えるかもしれません☆
お読みいただきありがとうございました。