先週金曜日、車で図書館に向かう途中の出来事です。

大きな駅の前で信号待ちをしていると、50代くらいの白髪交じりのおじさんが一人演説をしていることに気づきました。

内容はよく聞き取れませんでしたが、その近くを通り過ぎていく人たちは皆、まるでそのおじさんがいないかのようでした。


そんな様子をみて、私はふとある考えが頭に浮かびました。

それが、以前の私には想像もしなかった考えで、自分自身の考えの変化に驚くと同時に、
私もこういう見方ができるようになったんだな~と嬉しくもありました。


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その後にいった図書館。
コスモスが!!!
季節の移ろいを感じます。





以前の私の見方

以前の私だったら、一生懸命演説しているにも関わらず誰にも気に留めてもらえない人をみると、

かわいそうとか
イタい人

と感じていました。


私自身が、人からの目、人からの評価を気にしていたため、人を見る時も同様に

「人から無視されてかわいそう」
「気づかないふりをされてイタい人だ」

と感じていました。





今回の私の見方

それが、今回その人を見て思ったことは、
‟あの人は、自分が正しい、すべきと思っていることを一生懸命やっているのかもしれない”ということでした。

素通りされても、‟かわいそう”とか‟イタい”とは全く別の感情でした。


私は今、「自分は自分がよいと思うことをやるのみ。他人は好き勝手いろいろなことを言うものだし、他人が言うことは私にはどうすることもできない。」という考えで生きています。

だからこそ、そのおじさんを見たときも、同じように感じたのだと思います。





人への見方は、‟自分自身への見方”の表れ。

この、今までの私には想像できなかった考えが浮かんできたことで、私は、

『‟人をどう見るか”は、つまりは‟自分自身が自分をどう見ているか”と同じなんだな』ということに気づきました。


自分が人からの目を恐れていると、他人もそうだろうと思ってしまうし、
人からの評価をそんなに気にしていないと、他人も自分主体でラクに生きているように見えます。





考え方は人それぞれ。他人がどうこういうことではない。

今回の、人へ見方の変化は、私の中だけで起こったことです。

同じ一人の人間でも、こんなに考え方が違うのです。

ましてや、生まれも育ちも違う他人が心の中で何を考えているかなんて、全く想像できないことです。


だからこそ他人のことをあれこれいうのはとてもおこがましいことだし、
人のことを勝手に‟不幸だ”などというのおかしいことです。






おわりに

‟人に厳しい見方をしている”ということは、
‟自分自身も苦しい思いをしている”
のかもしれません。


私も以前はそうでした。


でもそんな私でも、今は自分にも、他人にも、穏やかな気持ちでいられます。

どっちの自分がいいかと聞かれれば、迷いなく今の自分です。



こんな私でも変われたのです。

‟人は、誰でも、いつからでも変わることができる”

そんなことを改めて感じた出来事でした。







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